学校から帰ると「お母さん、また作って」と頼む。おやつのような感じで食べていました。兄(菅原孝さん)も好きでしたね。
あの頃のことを思い出して、自分でも作ってみたいんですけど……。2016年におふくろが亡くなり、その後で一度作ってみたんです。でも、おふくろの味にならない。調味料の配分が分からないからしょうがないんですが、たとえ同じ味ができたとして、あの頃に感じたおいしさにはかなわないでしょうね。
まだ日本は貧しい時代でしたから、すいとんもよく食べました。長ネギなどその場にある野菜を入れて、おふくろが作ってくれたんです。おなかがすいていたから、おいしいなあと感じながら食べていました。
大人になった頃には日本も経済的に豊かになって、いろんなものを食べられるようになりました。
若い頃はなんでも食べましたし、飲みました。暴飲暴食ですね(笑)。
酔っぱらって、3回くらい転んでけがをして、血だらけになったことも。倒れる時にうまく手でかばえなくて、頭を打ったり。死んでいた可能性もある、と言われたこともあります。
それを改めたのは、がんになったから。14年5月に、ステージ3の盲腸がんが見つかって。その2カ月後には兄が脳出血で入院するなど、2人とも大変な時期でした。
僕は抗がん剤を使わなかったんです。まず食事を変えました。それと民間療法を取り入れて、自分で納得できる形で行い、良くなっていったんです。
食事については、奥さんがいろいろと調べてくれました。僕の体には小麦粉は合わないということで、パンやスパゲティは米粉で作られたものを食べるようにしたんです。
ご飯は、玄米にしました。これが僕の体にいいんですね。がんになるまでは、玄米のことも全然知りませんでした。本当に奥さんのおかげですよ。僕一人だったら死んでたよね、きっと。感謝しています。
野菜もたくさん食べています。
もともと僕はパクチーがすごく好き。まだ日本でブームになるずっと前、20年かそれ以上前に、東京のレストランでパクチーサラダを食べて、うまいなあと思って。印象に残る味ですよね。その後に東南アジアに行って、いっぱい食べました。それで本当に好きになったんです。
今のお気に入りは、パクチーを使ったオリジナルのサンドイッチ。米粉パンにパクチー、レタス、トマトやハムとかを挟んでマヨネーズをかけて、最後にそれをレタスで巻いて食べるんです。レタスはパンの中と外と両方使います。このサンドイッチが好きで、自分でよく作って食べています。
基本的にうちは、奥さんと僕とで別々に料理して食事をするんです。これはずっと前から。奥さんも働いていたし、時間も合わないこともあって。それぞれが好きなものを好きな時間に食べるほうが気楽だし、お互い干渉しないということでね。
お酒もたしなみます。ライブが終わった後に飲むと、本当にうまい。五臓六腑(ろっぷ)に染みわたるというのはこういうことを言うんだ。そう感心しながら、飲みます。今は3杯も飲むとちょうどいい気分になり、そこで止めるようにしています。お酒を飲み、おいしいものを食べられる。健康に感謝しています。
すがわら・すすむ 1947年、東京都生まれ。69年、兄の孝さんと兄弟デュオ「ビリーバンバン」として「白いブランコ」でデビュー。続く「れんげ草」「さよならをするために」なども大ヒットし、フォークソングブームの一翼を担う。81年にソロで出した「琥珀色の日々」がCMに起用され、カンヌ国際CF祭金賞を受賞した。86年から30年以上にわたって、焼酎「いいちこ」のCMソングを担当。